第一章
父の遺した楽器店は、思ったより狭かった。
子どものころはあんなに広く見えた空間が、段ボール箱と楽譜と、名前も知らない金具の山に埋め尽くされると、ひどく窮屈に感じられた。
琴葉は手袋を脱いでポケットに入れ、壁際のコートラックに残されていた父の古いジャケットを手に取った。裏地が剥がれかけていた。肩のところに小さな染みがあった。なぜかそれを確認してから、ポケットに手を入れた。
指先に、金属の感触。
引き出してみると、真鍮の鍵だった。小さく、古びていて、刻印のようなものが入っていたが、読み取れないほど擦れていた。いったい何の鍵なのか、見当もつかなかった。
同じポケットに、もう一つ。
毛糸のかたまりが出てきた。広げると、手袋だった。左手用の、暗い青。目の詰まった手編みで、母が好きだった色だと、琴葉はすぐにわかった。
右手用は、どこにもなかった。
片方だけの手袋を手のひらで包んで、しばらく立っていた。窓の外、二月の光が、ガラス越しにさびしく差し込んでいた。
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やわらかい場所へ行きたかった。
琴葉は鍵と手袋をポケットに入れたまま、楽器店の戸締まりをして、ゆっくり坂を下った。三軒先の和菓子屋「月見堂」が来週で閉まると聞いたのは、昨日のことだ。四十年以上、この坂の途中にあり続けた店が、消える。父の店と、ほぼ同じ長さだった。
暖簾をくぐると、温かい空気と、煮た小豆のにおいがした。


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